快慶 日本人を魅了した仏のかたち(奈良国立博物館) [美術展]

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快慶 日本人を魅了した仏のかたち
平成29年4月8日(土)~6月4日(日)
奈良国立博物館

今年、一番楽しみにしていた快慶展。心ゆくまで堪能するため、その日はほかの予定は入れず、11時に入館。たっぷり時間をかけて、一体一体と相対していく覚悟です。

展示の筆頭を飾るのは、醍醐寺の「弥勒菩薩坐像」。この弥勒様こそ、私が最初に快慶仏の洗礼を受けた思い出深い仏さま。2014年の「醍醐寺のすべて」展(奈良博)でお目にかかり、雷に打たれたように動けなくなってしまったのです。あまりにも完璧で抜かりなく、苦しくなりながら陶酔してしまう…。とってもあやうい気持ちになる弥勒像。のっけから夢見心地になって、それこそ浄土にいるような気持で鑑賞開始です。

第1章は「後白河院との出会い」。若い頃の作品が並んでいました。後年になると「型」がきちっと固まってしまう快慶だから、のびやかな初期の作品はとても興味深い。「きちんと感」はありつつも、東大寺法華堂秘仏と同じ姿勢の「執金剛神立像」や象の膝当てがかわいい「深沙大将立像」(いずれも金剛院)など、動きのある仏像にもチャレンジしています。松尾寺や金剛院など「丹後」(舞鶴市)のお寺の所蔵が多いのは、鳥羽院と美福門院の間の皇女 八条院の院宮分国があったためなんですって。

白眉は清水寺の「千手観音坐像」。千手観音ってどうしたってバランスが難しいものだけれど、破綻のない絶妙に整った造形。普通の千手観音と違って、正面・右・左に3つ、頭上に24、計27面ものお顔をもっているので、手の数にお顔が負けていないのです。作者を快慶と同定するには至っていないそうですが、快慶以外にここまで完璧で美しい千手観音坐像を生み出せる仏師はいないと思います。

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清水寺「千手観音坐像」


第2章は「飛躍の舞台へ」。重源上人とともに成した東大寺復興にかかわる仏像が並んでいました。東大寺での修二会(お水取り)でも、快慶は過去帳で名前を読み上げられるし、功績があったことが伺い知れます(運慶の名前はない)。重源上人と快慶の関係には、僧侶と仏師を超えた絆があったのでしょうね。その重源上人が大仏再興事業の拠点として設けた兵庫・浄土寺の裸形の「阿弥陀如来立像」もあやうい気持ちになるお像。2.5mを超える大きさに圧倒されるし、練り供養用の仏像だから出動する気満々なのが伝わってきて、夢見心地になってしまうのです。

東大寺の秘仏「僧形八幡神坐像」に至っては、あまりに生々しくて、出品自体は有難いことだと思いながら、「見てはいけないものを見てしまった…」という罪悪感、背徳感が湧いてきてしまいました。これはちゃんと東大寺の勧進所で拝さないといけない。ちなみに10月5日、年1回だけの開扉だからハードル高いです。


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阿弥陀如来立像(快慶作)

後半はいわゆる「安阿弥様」(あんなみよう)といわれる像高三尺(約1m)程度、端正なお顔の阿弥陀如来立像がいくつも並んでいます。間違い探しかと思うほど、同じような阿弥陀様。なんだか「もういい加減にしてもいいんじゃない…」と諦め気味に文句のひとつも言いたくなります。この妥協を一切許さない姿勢、一緒に仕事はできないなぁ。快慶の弟子は偉い!よくこの完璧主義で融通の利かない師についていけたものです。その弟子の長快作の「十一面観音立像」(パラミタミュージアム)のおっとりしたお顔にひどく「ほっ」としました。

一度には咀嚼しきれない数と質の「快慶仏」が並んでいて、最後はちょっと頭が変になってしまったような気分。完全にオーバーヒートです。ちゃんと一体づつ、戸別訪問しないといけないですね。最後、写真掲載の和歌山光臺院の阿弥陀三尊像が素晴らしく、是非、いつかお会いしたいです。

タグ:快慶 仏像
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