日本人と日本文化-対談(中公文庫)司馬 遼太郎、ドナルド・キーン [本]
予定調和な対談ではなく、スリリングでエキサイティングな言葉の応酬が続いていきます。異種格闘技みたいに見たこともない技の掛け合いがあって、読み応え十分でした。日本人や日本文化を語らせたら右に出るものがいないと思われる司馬遼太郎氏。だけど所詮、日本人だから日本を客観視するのは難しいということが露見してしまって、司馬氏の面目もつぶれ気味。ドナルド・キーン氏は司馬氏をも舌を巻く博学な知識を持ちつつ、それを西洋人や西洋文化と比較して定義したり、対比して位置づけたりしていきます。私の試合判定はキーン氏の勝利でした。
印象に残った言葉
司馬「つまり日本には仏教というものがあるけれども、おっしゃったように、東南アジアはほんとうに仏教ででき上がっている。仏教というものは、生活の仕方から、身動きから手足の上げ方まできめている。それがつまり仏教というものであって、仏教は日本に来たけれども、建物は立派にできたが、それはみな美になってしまって、ほんとうには宗教とか哲学になっていないんじゃないか。」─ 51ページ
司馬「信長はいま生きていたら、芸術家か何かになったんじゃないでしょうか。あのときだから、武人になってしまいましたれども。」─ 81ページ
キーン「要するに私の考えでは、善人というものは怪しいという考えがいつもあった。自分は善人だと思い込んでいるような人は、いちばん極楽に行けそうもないとはじめから思っていたもんですから(笑)。」─ 133ページ
司馬「しかし、われわれは将軍というものに、それほど政治家であることを期待していない。当時も後世のわれわれも期待していないわけです。政治家として劣等生であるのも、むしろ将軍様でならば当然のことだくらいに思って、その政治的モラルを云々しない。」─ 184ページ
キーン「いくら自分は貴族で、いくら自分が風流人だからといっても、自分の国の成敗は自分と深い関係があると、中国人なら思ったでしょうが、日本では、芸術さえよければ、そういうような無責任な態度を許すことができたのです。」─ 189ページ
キーン「平安朝の文学の多くの傑作は、女性によって書かれましたね。そして男性の書いたものよりも、女性によって書かれたもののほうが普遍性があると、私は思うのです。女性は外の世界をあまり見ないで、自分の内面を見つめる。そして人間の内面はそんなに変わっていないのです。嫉妬はあらゆる国にあるものだし、恋愛もそうだし、女性が感ずるような感情は、国を問わず、時代を問わず、みな共通だと言ってもいいでしょう。」─ 219ページ
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