大津京遷都1350年記念 大津の都と白鳳寺院(大津市歴史博物館) [美術展]

大津の都と白鳳寺院.jpg
大津京遷都1350年記念 大津の都と白鳳寺院
平成29年10月7日(土)~11月19日(日)
大津市歴史博物館

日帰りで滋賀から名古屋へ。きつめなスケジュールだけれど、思い立ったが吉日です。まずは大津市歴史博物館の「大津の都と白鳳寺院」へ。

今年は天智天皇が近江大津宮に遷都して1350年。ただこの大津宮は遷都の4年後に天智天皇が崩御し、壬申の乱の後に都は飛鳥に戻ったので、5年半ほどで廃都になってしまったそう。その正確な場所も近年まで分からなかった幻の都です。だから展示品も見慣れている「守り伝えられてきたお寺の仏像」ではなく、発掘調査で出土した瓦や塼仏(せんぶつ)が多く、その由来も南滋賀町廃寺、穴太廃寺、真野廃寺、とにかく廃寺ばかり。西大津の町って廃寺の上に成り立っているのかと思うほどでした。ここでいう廃寺とは長い年月の間に打ち捨てられてお寺の名前さえわからなくなってしまい、今の地名で呼ばれる寺院の遺跡のことだそう。物哀しいです…。

その廃寺ばかりの大津京を代表する寺院が天智天皇の建立による「崇福寺」。崇福寺はかろうじて名前は伝わっていますが、お寺自体は鎌倉時代後半に廃絶し、今は礎石だけが残るのみだそうです。なんだか聞いたことのある名前だなぁと思っていたら、解説文で心礎から出土した国宝の舎利容器が紹介されていました。その舎利容器、折りしも京都国立博物館の国宝展に出品されていて、つい先月に見たばかり。緑色のガラス製の小壷で、外容器は金製・銀製・金銅製の箱が入れ子になった豪華なもの(写真)。そのときは崇福寺の名前は気にも留めず、“7世紀にこんなにも精緻で手の込んだ舎利容器が造られたなんてすごいなぁ”と思っただけでしたが、改めてあの舎利容器が崇福寺跡からの出土だと知って、大津宮に対する天智天皇の願いの強さを思い知りました。

天智天皇といえば、乙巳の変のクーデターを起こした人物。狡猾なイメージが強く、仏教に熱心だとは思っていませんでした。だけど、平城京や藤原京より前に天智天皇は「仏都」としてこの地を造営したのかもしれません。5年半という短い期間だったから、その痕跡は失われてしまったけれど、その思いはタイムカプセルみたいに土の中に埋まっていて、こうやって1350年後に届けられました。

nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。