桃山時代の狩野派 永徳の後継者たち(京都国立博物館) [美術展]

桃山時代の狩野派.jpg
2015年4月7日(火)~5月17日(日)
京都国立博物館 明治古都館(本館)

東寺を後にして、バスで京都国立博物館へ。京博に行くたび、苦言を書いていますが、今回も例にもれず。この日はあまり時間がなかったため、お昼にパンを持ち込んで博物館の中で食べようとしたら、なんと、室内に飲食可能な場所はないとのこと。結局、平成知新館(センスの悪いネーミングだ)の外のちょっとした庇の下で食べました。今日のように季節と天候がいい時はまだしも、雨の日や猛暑日や冬の日はどうしたらいいのでしょう。東京や奈良の国立博物館には屋内に飲食可能なエリアがあって、椅子と机が用意されています。他の国立博物館でできることが、なぜ京都ではできないのでしょう。博物館で丸一日過ごしたい苦学生、宗教上の関係で食材に制限がある海外の観光客はどうしたらいいのでしょう。(どんどん熱くなってきてしまう...。)さまざまな人を受け入れるべき国立博物館なのに、入場者をないがしろにしているとしか思いません。まったくどこまで評価が下がるのか、京博。

そんなモヤモヤを抱えつつみた狩野派展、下がっている気持ちを高揚させてはくれませんでした。いや、狩野永徳とその孫・探幽をつないだ絵師たちをフィーチャーするという狙いはいいと思います。ただ、やはりスター不足は否めません。すごすぎる永徳や探幽の影がつきまとってしまって、かなり不利な状況です。残念ながら、ぐっと響いてくる作品やへぇっと思うような発見はありませんでした。

一方、絵ではないのですが、狩野山楽と狩野孝信が書いた土佐光吉宛の書状が笑えました。狩野山楽が書いたものは、狩野光信が徳川秀頼の前で土佐光吉を悪く言ったことを山楽が謝っているという内容。狩野孝信の書状は、禁中御殿の絵を書きかけのままに地元の堺に帰ってしまった土佐光吉に上京をうながすという内容。なかなか知ることもない絵師の仕事生活の一面に親近感がわきます。その文字は、山楽がのびのびなのに対して、孝信は職人ぽくて、絵と同じような個性が感じられました。二人を困らせている土佐光吉という人物にも興味津々。名前を覚えておこうと思います。



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