気になった明清画家のリスト [美術展]
静嘉堂文庫美術館の「あこがれの明清絵画」と泉屋博古館分館の「典雅と奇想-明末清初の中国名画展」で出会った中国明清画家を忘れないようにあげておきます。「 」は静嘉堂文庫美術館、<>は泉屋博古館の出品作品です。
徐渭(じょい、1521~1593年)
書・画・詩・戯曲・散文などに秀でた多才な文人。一方で科挙に失敗し続け、狂気で自殺未遂や妻を殺害しているそうです。その絵は才能があふれ出ていて、自由奔放に描いていながら、どうしようもなく上手。墨の一色だけで色彩豊か。生まれながらの芸術家だったのでしょう。琳派でなじみがある垂らし込みの技法が使われていて、画だけ見せられたら日本絵画だと勘違いしそう。<花卉雑画巻>(東京国立博物館)は若冲の「葡萄図」にも似ていて、こういう所から影響を受けていたのかもと思いました。
徐渭<花卉雑画巻>
李士達(りしたつ、1540頃~1621年以降)
明代後期の画家。「秋景山水図」(重文)の急峻な岩山はブリューゲルのバベルの塔みたいです。<石湖雅集図扇面>(橋本コレクション)は鮮やかな緑色の岩石に隠れるように隠居生活を楽しむ高士やかわいい鹿が描かれています。<竹裡泉声図>(東京国立博物館、重文)は前景には竹林、中景にはもやもやとした雲、後景には山が不思議な曲線で描かれたファンタジーな1枚。どれも甲乙つけがたくお気に入りです。
李士達「秋景山水図」
米万鐘(べいばんしょう、1570~1628年)
奇石を好み,画風にも奇異な趣味がみられるそうです。<柱石図>(根津美術館)は奇石に対する愛を感じる1枚。米万鐘の収集した奇石は北京の公園に今も残っているそうです。そして今回みた明清絵画のマイベストが<寒林訪客図>(橋本コレクション)。描かれている山、木、人物全てが奇妙でトリップ感がすごい!
米万鐘<寒林訪客図>
張瑞図(ちょうずいと、1570~1641年)
画家としてよりも書家として有名。柳沢淇園や池大雅が「秋景山水図」(重文)を、円山応挙が「松山図」(重文)を模写しています。うねうねとした岩山に松がひょろっと生えている不思議な絵です。
八大山人(はちだいさんじん、1626~1705年)
清初時代の画家にも惹かれる作品がいくつかあったのですが、明末時代の画家のインパクトがすごくて、覚えきれませんでした。唯一、八大山人だけがあまりに他と違っていて、奇想疲れした眼を癒してくれました。<安晩帖>(重文)の脱力系の動物たち、ゆるきゃらみたいでかわいいです。
八大山人「安晩帖」
徐渭(じょい、1521~1593年)
書・画・詩・戯曲・散文などに秀でた多才な文人。一方で科挙に失敗し続け、狂気で自殺未遂や妻を殺害しているそうです。その絵は才能があふれ出ていて、自由奔放に描いていながら、どうしようもなく上手。墨の一色だけで色彩豊か。生まれながらの芸術家だったのでしょう。琳派でなじみがある垂らし込みの技法が使われていて、画だけ見せられたら日本絵画だと勘違いしそう。<花卉雑画巻>(東京国立博物館)は若冲の「葡萄図」にも似ていて、こういう所から影響を受けていたのかもと思いました。
徐渭<花卉雑画巻>
李士達(りしたつ、1540頃~1621年以降)
明代後期の画家。「秋景山水図」(重文)の急峻な岩山はブリューゲルのバベルの塔みたいです。<石湖雅集図扇面>(橋本コレクション)は鮮やかな緑色の岩石に隠れるように隠居生活を楽しむ高士やかわいい鹿が描かれています。<竹裡泉声図>(東京国立博物館、重文)は前景には竹林、中景にはもやもやとした雲、後景には山が不思議な曲線で描かれたファンタジーな1枚。どれも甲乙つけがたくお気に入りです。
李士達「秋景山水図」
米万鐘(べいばんしょう、1570~1628年)
奇石を好み,画風にも奇異な趣味がみられるそうです。<柱石図>(根津美術館)は奇石に対する愛を感じる1枚。米万鐘の収集した奇石は北京の公園に今も残っているそうです。そして今回みた明清絵画のマイベストが<寒林訪客図>(橋本コレクション)。描かれている山、木、人物全てが奇妙でトリップ感がすごい!
米万鐘<寒林訪客図>
張瑞図(ちょうずいと、1570~1641年)
画家としてよりも書家として有名。柳沢淇園や池大雅が「秋景山水図」(重文)を、円山応挙が「松山図」(重文)を模写しています。うねうねとした岩山に松がひょろっと生えている不思議な絵です。
八大山人(はちだいさんじん、1626~1705年)
清初時代の画家にも惹かれる作品がいくつかあったのですが、明末時代の画家のインパクトがすごくて、覚えきれませんでした。唯一、八大山人だけがあまりに他と違っていて、奇想疲れした眼を癒してくれました。<安晩帖>(重文)の脱力系の動物たち、ゆるきゃらみたいでかわいいです。
八大山人「安晩帖」
あこがれの明清絵画(静嘉堂文庫美術館)、典雅と奇想(泉屋博古館分館) [美術展]
あこがれの明清(みんしん)絵画~日本が愛した中国絵画の名品たち~
2017年10月28日(土)~12月17日(日)
静嘉堂文庫美術館
典雅と奇想-明末清初の中国名画展
2017年11月3日(金・祝)~12月10日(日)
泉屋博古館分館
午前中に静嘉堂文庫の「あこがれの明清絵画」を見てから、その足で泉屋博古館分館の「典雅と奇想-明末清初の中国名画展」へ。まるで知見のなかった中国明清絵画ですが、1日で飛躍的に眼を開かせられました。
静嘉堂文庫では谷文晁や円山応挙といった江戸時代の一流の絵師たちがこぞって中国絵画を模写していることを知りました。私のあこがれの応挙先生があこがれていたと知れば、なじみのなかった明清絵画もぐっと身近に感じられます。さらに、同じ山水画でも日本のものとは全く受ける印象が違うことに驚きました。日本の山水図はのほほんとして退屈で好きではないのですが、明清の山水図はねじ曲がったような不思議な空間構成で少し病的でさえあります。危うい感じが私の好きな狩野山雪を彷彿させたりもするのです。
泉屋博古館分館ではそんな奇想の画家たちが現れた歴史的な背景を知ることができました。つまり不安定な明末から異民族の清へと大きく社会が変動する時代、それまでの典雅な山水表現に背を向けた異端の画家たちが現れたのだそう。当時は等閑視されていたけれども、近年になってその評価が高まっているとのことです。展覧会のコピーにも「先の見えない時代を生きた。時代の先の絵を描いた。」とあります。なるほど、確かに時代が大きく変わるときには美術もエキセントリックになります。逆にいうと、泰平の江戸中期の山水画が退屈なのはやむを得ないことなのかも。「形」は模写できても、「心」までは映せません。
気になる作品がたくさんあって、期待していなかっただけに、忘れがたい展覧会になりそうです。次の記事に名前を憶えておきたい画家のリストをあげておきます。
末法/Apocalypse-失われた夢石庵コレクションを求めて-(細見美術館) [美術展]
末法/Apocalypse-失われた夢石庵コレクションを求めて-
2017年10月17日(火)~12月24日(日)
細見美術館
思わせぶりな謎多き展覧会。仏像や仏画がメインですが、そのほとんどが個人蔵。今どき仏教美術のコレクションなんて、どんな人なのか想像もつきません。鑑賞するのと所有するのは全く別の話。美術鑑賞が好きだとしても、掛軸や現代アートならともかく、仏像を自分のものにしてどうするんでしょう。祈りの対象だったのだから、個人所有にはそぐわない気がしてしまいます(まあ、もし欲しくてもお金がないけどね)。そんなことを考えてしまい、居心地はよくありませんでした。
すると、会場の出口に「種明かし」というメッセージカードが。「末法」というのは美術にとっての「末法」だそう。国やマスコミが先導して仕掛けられる日本美術ブームに対して、一人称で評価する美の世界を仮託したコレクション展を企画したとのこと。ふむふむ、そういうことですか。国宝とか行列に弱い私は、まさに美術の末法に加担しているひとり。居心地が悪かったのももっともなことです。でも、ブームに乗ってなにが悪い!それで素晴らしい作品と出会えるのだから、いいじゃない。開き直って、その足で京都国立博物館の国宝展に向かいました(国宝展の記事1、2)。
松尾芭蕉のゆかりの義仲寺 [寺・神社]
2日目は松尾芭蕉のゆかりの義仲寺へ。前日に観光マップをみていて、宿の大津駅からほど近いことがわかり、お散歩かたがた歩いて行きました。小さい敷地ながら見どころは多く、居心地の良いお寺です。木曽義仲と松尾芭蕉のお墓が並んでいて、その墓石は「芭蕉翁絵詞伝」の「義仲寺の図」(江戸時代)そのまま変わっていません。一方、たびたびの火災や洪水で何度も壊滅の危機に瀕して、そのたびに再建になっています。援助に力を貸したのは大きな寺院ではなく、個人の篤志家だそう。芭蕉もその一人といっていいかもしれません。プライベートな思いがつながって、ここまで続いてきた義仲寺です。
芭蕉翁絵詞伝 義仲寺の図
芭蕉翁絵詞伝 義仲寺の図
延暦寺釈迦堂内陣特別拝観秘仏ご開帳 [寺・神社]
延暦寺釈迦堂内陣特別拝観秘仏ご開帳
平成29年10月1日(日)~12月10日(日)
紅葉の季節、三十三年ぶりの延暦寺西塔釈迦堂秘仏本尊のご開帳へ。延暦寺には滋賀県側の坂本ケーブルで入りました。日本一長いケーブルカーですごい急坂を11分間登ります。昔の人はこの坂道を歩いて上り下りしたのだから、覚悟のほどが違います。
延暦寺は最澄さんと同じであか抜けないけれど実直な感じがいいです。もったいぶったりしません。今回のご開帳も釈迦堂の内陣まで入ることができました。入堂の前には僧侶から香水を頭に降り注がれます。内陣は外陣よりも低い土間になっていて洞窟の中に入っていくよう。外陣とははっきりと区別された空間で空気が違います。中には4つの祠があって、神仏習合のかたちがそのまま残っています。ご本尊の釈迦如来立像がいらっしゃる須弥壇は外陣と同じ高さになっています。外陣とご本尊との高さが同じで、内陣だけが低くなっている仏堂は天台宗特有の構造だそう。外陣からは一段低い土間越しにご本尊を拝することになります。ご開帳のお釈迦様は小柄でおだやかなお姿。おそばによりたいなぁと思わせますが、目の高さは同じでも深い溝があって近づけない…。もどかしいです。見上げる仏さまとはまた違った心持ちになります。これが誰でも仏になれる(=同じ高さにある)けれども煩悩があって思い通りにはならない(=深い溝がある)という天台宗の教えを表しているのだそうです。実際に内陣に入ってみて、確かにそこが外陣とは違う神聖な場所だと実感できました。
帰りは少しでも比叡山の「山」を体感したくて、歩いて下山しました。うっそうとした木々に囲まれた急な坂道が続きます。もう日も暮れかけていて、誰もいない山道を降りるのは心細かった…。下山できて心底ほっとしました。一日の無事を感謝して日吉神社にお参りし、旅の1日目は終わりです。
大津京遷都1350年記念 大津の都と白鳳寺院(大津市歴史博物館) [美術展]
大津京遷都1350年記念 大津の都と白鳳寺院
平成29年10月7日(土)~11月19日(日)
大津市歴史博物館
日帰りで滋賀から名古屋へ。きつめなスケジュールだけれど、思い立ったが吉日です。まずは大津市歴史博物館の「大津の都と白鳳寺院」へ。
今年は天智天皇が近江大津宮に遷都して1350年。ただこの大津宮は遷都の4年後に天智天皇が崩御し、壬申の乱の後に都は飛鳥に戻ったので、5年半ほどで廃都になってしまったそう。その正確な場所も近年まで分からなかった幻の都です。だから展示品も見慣れている「守り伝えられてきたお寺の仏像」ではなく、発掘調査で出土した瓦や塼仏(せんぶつ)が多く、その由来も南滋賀町廃寺、穴太廃寺、真野廃寺、とにかく廃寺ばかり。西大津の町って廃寺の上に成り立っているのかと思うほどでした。ここでいう廃寺とは長い年月の間に打ち捨てられてお寺の名前さえわからなくなってしまい、今の地名で呼ばれる寺院の遺跡のことだそう。物哀しいです…。
その廃寺ばかりの大津京を代表する寺院が天智天皇の建立による「崇福寺」。崇福寺はかろうじて名前は伝わっていますが、お寺自体は鎌倉時代後半に廃絶し、今は礎石だけが残るのみだそうです。なんだか聞いたことのある名前だなぁと思っていたら、解説文で心礎から出土した国宝の舎利容器が紹介されていました。その舎利容器、折りしも京都国立博物館の国宝展に出品されていて、つい先月に見たばかり。緑色のガラス製の小壷で、外容器は金製・銀製・金銅製の箱が入れ子になった豪華なもの(写真)。そのときは崇福寺の名前は気にも留めず、“7世紀にこんなにも精緻で手の込んだ舎利容器が造られたなんてすごいなぁ”と思っただけでしたが、改めてあの舎利容器が崇福寺跡からの出土だと知って、大津宮に対する天智天皇の願いの強さを思い知りました。
天智天皇といえば、乙巳の変のクーデターを起こした人物。狡猾なイメージが強く、仏教に熱心だとは思っていませんでした。だけど、平城京や藤原京より前に天智天皇は「仏都」としてこの地を造営したのかもしれません。5年半という短い期間だったから、その痕跡は失われてしまったけれど、その思いはタイムカプセルみたいに土の中に埋まっていて、こうやって1350年後に届けられました。
長沢芦雪展 京(みやこ)のエンターテイナー(愛知県美術館) [美術展]
長沢芦雪展 京(みやこ)のエンターテイナー
2017年10月6日(金)~11月19日(日)
愛知県美術館
大津から名古屋へ。愛知県美術館の長沢芦雪展はもふもふのわんこが勢ぞろい。癒されました。犬のかたちは師匠 円山応挙のオリジナルだけれど、弟子の芦雪たちもこぞって犬を描いているのはきっとそのかわいさゆえでしょう。特に芦雪は動物好きだったんじゃないかしら。虎、象、牛、雀…たくさん動物を描いているし、どれにも愛しさを感じます。
なかでも無量寺(和歌山県)の「虎図襖」のトラのふてくされた表情ったら!ぐにゅーんと伸びた体やくるりんと丸まったしっぽもあり得ないからこそ、キャラが立っててかわいい。今回の展示では無量寺の方丈が再現されていて、中央の内陣の左右に「虎図」と「龍図」の襖がしつらえられていました。畳と柱と長押と欄間と一体になった襖絵だからこそ、厳かな宗教空間でちょっとふざけたトラが絶妙なコントラストとなって効いています。それに露出展示だから、虎や龍の襖からはみ出さんばかりの大きさを感じられました。展示ケースの中に閉じ込められていたらこうはいきません。虎図と龍図の裏側に描かれている猫と子どもの絵を見ることもできたし、これ以上はない展示構成です。主催者は大変だったと想像しますが、見る側にとってはうれしいし、芦雪さんも喜んでいると思います。
重要文化財 長谷川等伯障壁画展 南禅寺天授庵と細川幽斎(永青文庫) [美術展]
重要文化財 長谷川等伯障壁画展 南禅寺天授庵と細川幽斎
2017年9月30日(土)~11月26日(日)
永青文庫
週末にもかかわらず展示室には人がいなくて、独占状態でゆっくりと鑑賞できました。南禅寺の塔頭 天授庵を細川幽斎が再興したことから、今回、方丈の襖絵(長谷川等伯筆)が永青文庫で公開になったそうです。ちらしのトラネコ(禅宗祖師図)は前期展示だったので、後期展示では会えず、ロバに乗る4人の隠士と従者を描いた商山四皓図の方をみました。とっても自由というかテキトーな感じの描き方。鬼気迫る長谷川等伯のイメージとは程遠かったです。天授庵には行ったことがないので、次に南禅寺に行く機会があれば寄ってみたいと思います。
東京国立博物館の総合文化展(2017年11月) [美術展]
東京国立博物館の総合文化展(2017年11月)で撮影した写真です。
宗教美術は装飾経と仏像2体と禅僧の書。
法華経(久能寺経)(重要文化財 平安時代)駿河国久能寺(現鉄舟寺、静岡県静岡市)に伝わったキラキラな装飾経。多大なご利益がありそうです。久能寺は推古天皇の時代に草堂が建てられたという古いお寺。明治になって山岡鉄舟が再興したことから鉄舟寺となったそうです。
阿弥陀如来坐像(静岡・願生寺蔵 鎌倉時代)運慶周辺の仏師の作と考えられるお像です。願生寺は静岡県裾野市にある時宗寺院。久能寺経とは静岡つながり。
男神坐像(重要文化財 大将軍八神社蔵 平安時代)今年1月、東博の「博物館に初もうで」で初めてお会いし、その威厳にやられてしまった「男神坐像」に再会(そのときの記事)。今回は露出展示で前回よりもちょっとお近づきになれました。
禅院額字「釈迦宝殿」(重要文化財 無準師範筆 南宋時代)禅院のお堂に掲げられた大きな力強い書。無準師範(ぶじゅん しはん)は中国・南宋時代の臨済宗の禅僧。このお隣には張即之(ちょうそくし)筆の国宝・禅院額字「旃檀林」(東福寺蔵)も展示されていました(撮影禁止)。こちらの方がより大きくて圧倒されます。
江戸絵画は私の大好きなアーティスト3人の作品がそろい踏み。
波涛図(重要文化財 円山応挙筆 江戸時代(1788)京都・金剛寺蔵)円山応挙のふるさと京都府亀岡市の金剛寺の障壁画。金剛寺には西国三十三所巡礼で穴太寺(21番札所)にお参りしたときに足を運びました。観光寺院ではないからお庭をのぞいただけですが、こうやって点と点が繋がっていくのがうれしい。
秋冬山水図屏風(円山応挙筆 江戸時代)
応挙の雪景色はやっぱりいいなぁ。
四季花鳥図巻 巻下(酒井抱一筆 江戸時代(1818))
抱一の花鳥図もやっぱりいいなぁ。
笛を吹く若衆(鈴木春信筆 江戸時代・18世紀)
春信の中性的な若衆もやっぱりいいなぁ。
宗教美術は装飾経と仏像2体と禅僧の書。
法華経(久能寺経)(重要文化財 平安時代)
阿弥陀如来坐像(静岡・願生寺蔵 鎌倉時代)
男神坐像(重要文化財 大将軍八神社蔵 平安時代)
禅院額字「釈迦宝殿」(重要文化財 無準師範筆 南宋時代)
江戸絵画は私の大好きなアーティスト3人の作品がそろい踏み。
波涛図(重要文化財 円山応挙筆 江戸時代(1788)京都・金剛寺蔵)
秋冬山水図屏風(円山応挙筆 江戸時代)
応挙の雪景色はやっぱりいいなぁ。
四季花鳥図巻 巻下(酒井抱一筆 江戸時代(1818))
抱一の花鳥図もやっぱりいいなぁ。
笛を吹く若衆(鈴木春信筆 江戸時代・18世紀)
春信の中性的な若衆もやっぱりいいなぁ。
室町時代のやまと絵-絵師と作品-(東京国立博物館) [美術展]
企画展示 室町時代のやまと絵ー絵師と作品ー
2017年10月24日(火)~12月3日(日)
東京国立博物館 本館 特別1室・特別2室
「狩野派」や「琳派」といえば思い浮かぶマスターピースがあるけれど、「やまと絵」って茫としてつかみどころがありません。でも、個人的には前から気になっていて、好きな作品も多いのです(以前の記事)。東博で「室町時代のやまと絵」の特集展示があり、講演会にも足を運んで改めて「やまと絵」とは何たるかを学ぶ良い機会となりました。大まかには「漢画系」(主に水墨画)に対するのが「やまと絵」(主に彩色のある絵画)なんだそうです。その説明には深く納得。私は水墨画や山水画ってそれほど好きではないので、その対にある「やまと絵」に惹かれるのは自然なことなのですね。
室町時代のやまと絵を代表する絵師が土佐光信。名前を見たことがあるぐらいだったけれど、彼こそ日本美術史のキーパーソンなんですね。というのも、土佐光信の娘が狩野派の二代目狩野元信に嫁入りしたことが、漢画を得意としていた狩野派がやまと絵を取り入れるきっかけとなったと考えられるそうなのです。まさにこの結婚でやまと絵と漢画がマリアージュして、元信以降の狩野派が生まれたってこと。土佐光信がいなかったら、その後の日本美術も違っていたかもしれません。今まで認識していなかったけれど、土佐派の「やまと絵」ってそれくらい大きい要素なんですね。その後、土佐派は凋落してしまったけれど、光信の画風だけでなく、名前の「信」の字が狩野派絵師の「信」の字に引き継がれていったのだとしたら、光信も少しは報われるかなぁ。
そして、先日の「狩野元信展」(サントリー美術館)で気が付いたことですが、私が狩野派で好きなのはお花や鳥、まさに土佐派の要素。今回の特集展示を見るにつけ、私はやっぱり「やまと絵」が大好き。そんなに上手くもないしセンスがあるわけでもないのですが、見ているとなんだか楽しく幸せな気持ちになってきます。常設展だから撮影OKの作品もたくさんあって嬉しい限りでした。
浜松図屏風 部分(重要文化財、室町時代・16世紀)
これこれ、私の好きないわゆる「やまと絵屏風」。お花と鳥がかわいい。
月次風俗図屏風(重要文化財、室町時代・16世紀)
月次祭礼図屏風(模本)(原本:伝土佐光信筆、江戸時代・19世紀)
これは京都の行事や祭礼を描いた屏風。これまた楽しそうな人々です。
清水寺縁起絵巻 巻中(重要文化財、土佐光信・土佐光茂筆、室町時代・1517年)